大阪城

大阪城「生国魂神社お旅所跡」のアクセスとその歴史

大阪城大手門付近と生国魂神社お旅所跡

大阪城公園内に「生国魂神社お旅所跡」というのがあります。跡なので当然今は何もありません。説明文があるだけです。

豊臣秀吉の大坂城時代にこの場所に生国魂(いくくにたま)神社がありました。のち移築しています。

大阪城「生国魂神社お旅所跡」の場所、地図(アセクス)、その歴史についてご紹介します。

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大阪城「生国魂神社お旅所跡」の場所

大阪城大手門横の外堀

大阪城の正面玄関である大手門横の外堀付近の写真、とても綺麗な場所です。六番櫓が見えています。

 

大阪城大手門付近と生国魂神社お旅所跡

その外堀の右付近から大手門千貫櫓多聞櫓方面の坂を見ると小さな碑と説明文があります。

これが「生国魂神社お旅所跡」碑です。

 

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大阪城「生国魂神社お旅所跡」の歴史

大阪城「生国魂神社お旅所跡」の説明文

「生国魂神社お旅所跡(生国魂神社と大阪城)」という説明文があります。

生国魂神社の歴史を文献資料でたどると、「日本書紀」孝徳天皇即位前紀(645年)に「生国魂神社の樹をきりたまふ」とあるのが初出になります。これは難波宮造営のためだと考えられています。

また、「天文日記」(1436年〜1454年)の記載からも大坂(石山)本願寺に接して生国魂神社のあったことがわかります。

難波宮や大坂本願寺は、この大阪城の近くにあったことがわかっており、生国魂神社が古くよりこのあたりに祀られていたことがわかります。

その後、豊臣秀吉は大坂城の築城に際して、天王寺区生玉町の現在地に移築させました。豊臣大坂城の大手門は、生玉門と呼ばれていたそうです。

この「お旅所」は1932年(昭和7年)に新築され、夏祭りの渡御祭に用いられました

参考:「生国魂神社お旅所跡」説明文を要約

この説明文によると、日本書紀に難波宮を造るため生国魂神社の木を切って用いたとあります。

難波宮跡は現在この大阪城のすぐ南にあります。当時はもっと大きく現在の大阪城付近まであったことがわかっているので、この近くに生国魂神社があり、その木を切って用いたようです。

また、大坂石山本願寺時代にも生国魂神社があったことが書かれていることから、この近くにあったことが確実となりました。

その後、この場所に豊臣秀吉が大坂城を築城することで、現在の生国魂神社がある天王寺区生玉町に移築されています。

参照:生國魂神社(生玉さん)のご利益、お守り、アクセスについて(関西パワースポット神社)

 

大坂城「生国魂神社記に曰く」碑

もう一つ『「生国魂神社記」に曰く』という石碑もあります。

豊臣秀吉石山の旧跡に大坂城を営むこととなるや神域(生国魂神社)場内に入るの故を以て此処(天王寺区生玉町)に奉遷しまいらせたり

中略

この時、場内の旧跡にも小社を残したりといふ後世までも大坂城内廊の中庭に生玉の神木と伝へし老松一樹立ちたりといふはこの小社の名残なるべし

此の度生国魂神社御旅所跡の整備に当たりその歴史的由緒に因み御松一樹を献木する

大阪天王寺ライオンズクラブ

参考:『「生国魂神社記」に曰く』説明文より

生国魂神社が現在の天王寺区生玉町に移築されたことの補足が書かれています。

こちらは「生国魂神社」の歴史について書かれている『「生国魂神社記」に曰く』の一文です。

 

「生国魂神社お旅所跡」場所・地図(アクセス)

大阪城「生国魂神社お旅所跡」地図

参考:大阪城公園案内図

谷町四丁目駅からは芝生広場から大手門南外堀付近にあります。森ノ宮駅からは噴水から西の階段を上がり、南外堀沿いを西に歩くと着きます。

天満橋駅からは西外堀沿いを南に歩き、大手門を越えたあたりにあります。

JR大阪城公園駅、長堀鶴見緑地線「大阪ビジネスパーク駅」からは反対側に位置するので、大坂城天守閣に入ってから反対側に移動し、桜門をでて西に移動、大手門を出るとあります。

参考:「大阪城の重要文化財」10箇所

参考:「大阪城の史跡・名所」一覧

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