豊臣秀吉

豊臣秀吉のあだ名

豊臣秀吉のあだ名

豊臣秀吉についてまとめています。今回は豊臣秀吉のあだ名についてです。

彼の子供の時は日吉丸(日吉)という名前でしたが、その時からあだ名はありました。

ドラマや小説で出てくる有名なあだ名から、意外なあだ名まであります。

 

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豊臣秀吉のあだ名1:サル(猿)

豊臣秀吉のあだ名「サル(猿)」または「小ザル(小猿)」

豊臣秀吉が最も呼ばれているあだ名は「サル(猿)」です。これは秀吉の容姿から付けられました。

ほとんどの小説やドラマでは、子供の時(日吉丸・日吉)から木下藤吉郎と名前がつくまでは主にそう呼ばれています。

今回色々な小説や歴史文庫で確認したところ、最も多いのが「サル」で、小さい時は「小ザル(小猿)」と呼ばれています。

豊臣秀吉のあだ名がサルと呼ばれるようになった理由・経緯(いきさつ)はいくつかあります。

豊臣秀吉のあだ名がサルと呼ばれるようになった理由1:聚楽第の落書きより

豊臣秀吉が晩年、京都に聚楽第を築いた時、誰かが壁に落書きをしました。

その一つには以下のように書かれていました。

まつせ(末世)とは べち(別)にはあらじ 木ノ下の さる(猿)関白を 見るにつけても

聚楽第の落書きより

木下藤吉郎=関白豊臣秀吉を「木の下にいる猿」とし、世も末であると案じている内容です。

この内容は京都の長谷川忠実が記録しています。

 

豊臣秀吉のあだ名がサルと呼ばれるようになった理由2:朝鮮儒者カンハン(姜汎)の著書より

朝鮮の儒者・カンハン(姜汎)の著書「看羊禄(かんようろく)」には以下のように書かれています。

賊魁(賊軍の長)秀吉は、尾張中村郷の人である。天文5年(1536年)に生まれた。

容姿が醜く、身体も短小で、容姿が猿のようであったので、結局(猿を)幼名とした。

姜汎「看羊禄」より

サル(猿)にそっくりなので、小さい時からのあだ名(ニックネーム)だ」と秀吉を紹介する文に書かれています。

かなり偏見が入っていますね。

以上の書き残しにより、小説やドラマなどで使われるようになりました。

 

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豊臣秀吉のあだ名2:はげねずみ(禿鼠)

豊臣秀吉のあだ名「はげねずみ(禿鼠)」と書かれている書簡(織田信長からねね宛の手紙)

織田信長が豊臣秀吉の妻・ねねに送った手紙によると以下のように書かれています。

秀吉があなた(ねね)に不満を漏らすことは言語道断(こん五たうたん)だ。

どこを訪ねてもこれ程の妻を迎えるのは、はげねずみ(禿鼠)には難しかろう。

この手紙は秀吉にも見せてやりなさい

織田信長より

豊臣秀吉の浮気が多いので、ねねが織田信長に不満を漏らし、それに対し織田信長がねねに返信した手紙です。

信長の公印が押されている正式な書簡

その手紙の中で秀吉のことをはげねずみ(はけねすみ)と書いています。

これについては手紙の一文として出てきているだけなのか、または普段から呼ばれていたのかについてはわかりません。

この史料については博物館が所蔵しているのではなく、個人が所蔵しています。戦後転々として今の個人蔵となっているようです。

たまに特別展などで見られることがあります。

 

豊臣秀吉のあだ名については以上です。

織田信長しかさすがに書けないので、史料には残っていないのが現状です。

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