徳川家康

徳川家康年表

徳川家康 年表

徳川家康の年表をまとめました。

時代(戦国時代〜安土桃山時代)、西暦(和暦)、秀吉の年齢、内容・できごとを表にまとめています。

追記この記事の最後に「徳川家康の年表」をPDFファイルで無料ダウンロード・印刷できるようにしました。大河ドラマ「どうする家康」のお供に使ってみて下さい。

 

スポンサーリンク

徳川家康 年表

徳川家康がしたことを年齢別に確認できるよう年表にしました。PDFファイルはこの年表の下にあります。

時代西暦(和暦)徳川家康の年齢内容・できごと
室町時代
(戦国時代)
1542年(天文11年)1歳岡崎城で竹千代が誕生(松平広忠の長男)
1547年(天文16年)6歳今川義元の命令で人質として駿府に向かう途中に、織田勢に捕らえられ、織田信秀の人質となる
1549年(天文18年)8歳父・松平広忠が暗殺される
織田氏と今川氏との人質交換が行われ、竹千代は駿府に送られる
臨済寺の太原雪斎のもとで勉学に励む
1555年(弘治1年)14歳元服し、松平元信と名乗る
1558年(永禄1年)17歳松平元康と名前を改める
1560年(永禄3年)19歳桶狭間の戦い」で今川義元が戦死し、人質生活から解放される
岡崎城主となる
1562年(永禄5年)21歳織田信長と同盟を結ぶ「清洲同盟
1563年(永禄6年)22歳松平家康と名前を改める
三河で一向一揆が起こる
1564年(永禄7年)23歳一向一揆を鎮圧し、三河国を平定する
1566年(永禄9年)25歳徳川家康と姓を改める
1569年(永禄12年)28歳武田信玄と共に今川氏真を攻めやぶり、遠江を平定する「掛川城の戦い
1570年(元亀1年)29歳織田信長と共に浅井・朝倉両軍をやぶる「姉川の戦い
浜松城を築き居城とし、領国経営の拠点とする
1572年(元亀3年)31歳武田信玄と戦い大敗する「三方ヶ原の戦い
安土桃山時代1575年(天正3年)34歳織田・徳川の両軍が武田勝頼の軍をやぶる「長篠の戦い
1579年(天正7年)38歳織田信長の命令で正室・築山殿を暗殺し、長男松平信康を自害(切腹)させる
1582年(天正10年)41歳織田信長から武田氏の旧領・駿河の国を与えられる
三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の5ヶ国領有するようになる
京と堺を遊覧中に織田信長の死を知り「本能寺の変」、堺から伊賀越えで岡崎に逃げ帰る
1584年(天正12年)43歳豊臣秀吉と戦う「小牧・長久手の戦い
信長の子・織田信雄と手を組み、豊臣秀吉に圧倒的な力を見せつける
1586年(天正14年)45歳大坂城で豊臣秀吉と会い、天下統一に協力する
居城を駿府城に移す
1590年(天正18年)49歳関東をおさめる北条家を攻め、豊臣秀吉の天下統一に協力
豊臣秀吉に命じられ関東を支配、江戸城を居城とする
1598年(慶長3年)57歳豊臣秀吉が死ぬ
秀吉の死後、遺言により五大老筆頭格として政治を行う
1600年(慶長5年)59歳関ヶ原の戦い」で、石田三成の西軍をやぶる
1602年(慶長7年)61歳二条城を建てる
1603年(慶長8年)62歳朝廷から征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開く
江戸時代1605年(慶長10年)64歳将軍職を子供の徳川秀忠に譲る
1607年(慶長12年)66歳改修した駿府城に移る
大御所と呼ばれる
1614年(慶長19年)73歳豊臣氏討伐のため、大坂に出陣する「大坂冬の陣
1615年(元和1年)74歳再び大坂城を攻撃し、豊臣氏を滅ぼす「大坂夏の陣
全国の大名を従えさせるために、武家諸法度を定める
1616年(元和2年)75歳鷹狩の日に腹痛になり、回復せず、駿府城で死ぬ
久能山に葬られる

以上の年表をPDFファイル無料ダウンロード・印刷できるようにしました。(全2ページ)

この年表で「徳川家康が年齢別にしたこと」を確認できます。印刷しておくとより大河ドラマ「どうする家康」を楽しめると思います

著作権を放棄していません。個人で使用するのはOKですが、販売したりしないようにお願いします

SNSでシェアしたり、ブログで紹介していただけると嬉しいです。

 

関連:「豊臣秀吉 年表」を見てみる

関連:「徳川家康 一覧」に戻る

スポンサーリンク

-徳川家康

Translate »