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大阪城「刻印石広場」のアクセスとその説明

投稿日:2017年2月22日 更新日:

大阪城「刻印石広場」

大阪城を築城する時に、各藩の大名に石を運ばせ、場所ごとに石垣の建設を担当させました。

その関係で、運んできた石には藩の刻印が刻まれています。それらは刻印石と呼ばれています。その刻印石が集まった「刻印石広場」というのが、大阪城公園内にあります。

大阪城「刻印石広場」の場所、地図、その説明についてご紹介します。

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「刻印石広場」場所

大阪城・極楽橋

JR大阪城公園駅、地下鉄「大阪ビジネスパーク駅」、「天満橋駅」から歩いて大阪城に向かうと、途中で極楽橋が見えます。この橋を渡りましょう。

 

大阪城天守閣と刻印石広場

極楽橋を抜けると、石が置かれた場所があります。この子供たちの遊び場のようになっている場所が「刻印石広場」です。

この周辺は「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」碑、「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」「山里丸石垣の機銃掃射痕」などもあるので見ごたえ十分です。

すぐに大阪城天守閣には行かないで、それぞれの史跡を見るのをお忘れなく。

 

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「刻印石広場」説明

大阪城「刻印石広場」と説明文

石で大きく「刻印石広場」と書かれています。その下に説明文とこの広場の詳細地図が書かれていました。

この広場は、大阪築城400年を記念し、その石垣を形成している刻印石を展示し紹介する為に新設しました。

刻印石とは、大阪城の石垣築城に参加を命ぜられた諸大名の家臣や石工が、石集めや石積みの過程で、個々の石に必要に応じて、文字や文様を刻み込み、さらに出来上がった石垣の表面に担当大名の家紋などを刻み込んだもので、これまでに数万個も発見されています。

ここに展示しているのは、昔の石置場、周辺の川筋などから出土したものや城内の石垣修理で撤去されたものを展示してます。

大阪城の石垣は、豊臣時代のものが残っていると思われがちですが、実は現存している石垣はすべて元和・寛永年間(1620年~1629年)に、徳川幕府が西日本の69藩を動員して築かせたものです。無数の刻印石がその事実を証明しています。

昭和58年10月

参考:刻印石広場の説明文を抜粋し要約

刻印石広場は、築城400年を記念して、1983年(昭和58年)につくられました。

今の大坂城は徳川時代のもので、豊臣秀吉の大坂城は地下に埋め立てられ見ることができません(今後、一部見られる可能性あり)。

西日本の69藩の大名が大阪城築城の為に石垣を用意して、その石垣に各藩の刻印や模様が刻まれています。この広場にある刻印石は、撤去されたものや川筋から出土したものがメインになっています。

数万個が発見されているということで、大阪城公園内を歩いていると、至る所に飾られているのを見つけることができます。出土数が多く、かなり余っているようですね。

刻印石の各ゾーン

大阪城「刻印石広場」の各ゾーン

  • 大阪城内ゾーン
  • 玉造口ゾーン
  • 竜造寺町12ゾーン
  • 竜造寺町13ゾーン
  • 寝屋川ゾーン
  • 木津川口ゾーン
  • その他ゾーン

以上の7ゾーンに分かれて展示されています。

大阪城「刻印石広場」大阪城内ゾーン

各ゾーンに行くとそれぞれの刻印と各藩の説明が載っています。

「大坂城内ゾーン」を見ると加賀金沢藩の前田家が多いです。

 

刻印石広場の大阪城内ゾーン

一例を紹介。先ほどの「大阪城内ゾーン」を拡大すると〇の中に三がかかれた刻印があります。

これは石見浜田藩の吉田兵部少輔重恒、丹波柏原藩の織田刑部大輔信則が担当したことがわかります。

 

大阪城「刻印石広場」丹波柏原藩、石見浜田藩の刻印

これが実際の〇に三が書かれた刻印石。石の下の方に刻まれています。

 

大阪城「刻印石広場」△に六の刻印

△に六の刻印があります。どこの藩かは載っていなかったので、詳細はわからないようですね。

 

大阪城「刻印石広場」〇に十の刻印

〇に十の刻印と言えば薩摩藩ですが、〇からはみ出ているのでどうやらこれは違うようです。

丹波武田藩の中川内膳正久盛、伊予大洲藩の加藤出羽守恭興(いずれかは不明)と書かれていました。

 

大阪城「刻印石広場」

このように刻印を見ていくと、時間が経つのを忘れてしまいます。

 

図録で「刻印石広場」を確認

1983年に「刻印石広場」がつくられたので、それ以前は当然ありません。

図録「描かれた大坂城、写された大阪城」によると、このあたりは山里丸と呼ばれていて、戦前は陸軍の宿営施設が立ち並んでいる写真が載っています。

ただ昭和6年頃にはなかったようで、噴水や児童向け遊具があったのが写真付きで載っています。

 

学芸員が「刻印石広場」を語る

大阪城天守閣学芸員の北川央氏によると、大阪城内の石垣は痛みが激しく剥落する危険性のあるものは、石材と同じ産地から同じ形に切った新しい石と取替え工事をしているそうです。

取り外した元の石が、この「刻印石広場」に集まっています。とても貴重な文化財なので、理解を深めてほしいという理由で始められたそうです。

この山里丸は、本丸との間の高い石垣、内側の石垣、対岸石垣全てが、加賀藩前田家が担当しています。石垣の「中」と言う文字は全て前田家の刻印だと語っています。

「刻印石広場」大阪城内ゾーン、加賀藩前田家が担当

▲「大坂城内ゾーン」の加賀藩前田家の刻印。実際の刻印石も足を運んで確認してみて下さい。

 

大阪城「刻印石広場」地図・アクセス

大阪城「刻印石広場」地図

JR環状線「大坂城公園駅」、地下鉄長堀鶴見緑地線「大阪ビジネスパーク駅」、谷町線・京阪本線「天満橋駅」からだと通り道になっています。極楽橋を渡り、少し上るとあります。

谷町四丁目駅と森ノ宮駅からは反対側になります。大坂城天守閣に行った後で、反対側の山里丸方面に行き、スロープを下りるとすぐです。

参考:「大阪城の重要文化財」10箇所

参考:「大阪城の史跡・名所」一覧

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