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大阪城 重要文化財「金蔵」のアクセスとその歴史

投稿日:2017年1月4日 更新日:

大阪城金蔵と第四師団司令部庁舎

大阪城天守閣の入口すぐ右側(東側)に重要文化財「金蔵」があります。徳川幕府時代に築造されたもので、幕末の動乱や第二次世界大戦の空襲を潜り抜けた今でも当時のまま現存する建物です。

金蔵という名の通り、徳川時代のお金の蔵、金庫です。天守閣の近くにあるにも関わらず、ほとんど知らずに通り過ぎている観光客が多いのが現状、ぜひ立ちて寄ってみて下さい。

重要文化財「金蔵」について、場所や地図についても写真付きでご紹介します。

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金蔵の場所

大阪城・第四師団司令部庁舎

大阪城天守閣の手前、本丸内に第四司令部庁舎(旧大阪市立博物館)があります。このすぐ北東付近に金蔵があります。

 

大阪城金蔵と第四師団司令部庁舎

丁度、天守閣と第四師団司令部庁舎(旧大阪市立博物館)との間に金蔵があります。この写真を見ると第四師団司令部庁舎の横にあるのがわかります。

 

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金蔵の説明・歴史

大阪城金蔵、正面から撮影

金蔵の丁度前に説明がありました。

江戸時代、幕府の金貨・銀貨を保管した建物で、幕府直営の金庫として役割を果たしました。「かねぐら」「かなぐら」とも読みます。

1751年(宝暦元年)、この場所の南にあった長屋を切断・改造し、元々北西側にあった金蔵を元金蔵、この金蔵を「新金蔵」と呼んでいました。

元金蔵は1892年(明治25年)に配水池建築の為に、この金蔵の東側に移築。のち1929年(昭和4年)に陸軍が高槻工兵隊の敷地内に移築しましたが、焼失しています。

この金蔵は高さ5.8m、面積は93.11㎡あり、内部は大小の2室あります。手前の大きな部屋に通常の出納用の金銀、奥の小さな部屋に非常用の金銀を置きました。

防災や防犯に工夫がこらされ、床下は石敷きで、入口は二重の土戸と鉄格子戸の三重構造に、小窓は土戸と鉄格子、床下の通気口にも鉄格子がはめられています。

参考:金蔵説明文を抜粋し、一部要約

この金蔵は2つあった金蔵の内の1つで、新しい金蔵の方です。1751年に長屋を改造しました。元の金蔵は現在焼失しています。

徳川時代、大坂城は西日本支配の拠点でした。長崎貿易の収益金や西日本にある幕府直轄領の年貢金などの公用金が、この金蔵に蓄えられていました。

金庫にかなり厳重な防犯・防火対策がされていますね。入口が三重になっており、3回扉を開けないと中に入れないようになっています。また、鍵も慣れないと簡単には開けられないものだったそうです。

江戸時代前期の1703年(元禄16年)の記録によると、入金高は金が36万8千両、銀が1万827貫、大判金が48枚、銭が754貫だったそうで、今のお金に換算すると、808億円近くの大金が金蔵に蓄えられていました。

大坂城の金蔵は常に500~800億円くらいのお金が納まっていたことになります。この中にあった金銀はどうなったのでしょうか。気になるところですね。

この厳重な金蔵を唯一、金庫破りに成功した盗賊がいたそうですよ。大坂城に勤務する旗本・中間の梶助という男だったそうです。妙に金回りがよくてバレてしまいました。

 

明治以後の金蔵について

明治維新以後は陸軍が倉庫として使用しました。倉庫として転用していたので、窓が増やされ、北側に開いていた出入口も南側に付け替えられました。

第2次世界大戦の空襲を何とか持ちこたえましたが、瓦やなまこ壁が崩れ落ちてしまい、荒れた状態のまま放置された日々が続きます。

後、市民により整備・修復され、現在の史跡公園として復活しました。

破損著しい金蔵については図録「描かれた大坂城・写された大阪城」に写真付きで紹介されています。

 

大阪城「金蔵」地図

大阪城「金蔵」地図

出典:大阪城公園園内MAP

森ノ宮駅からは玉造口から桜門から本丸に、谷町四丁目駅からは大手門、多聞櫓を通り、桜門から本丸に入りましょう。後は第四師団司令部庁舎を越えた、天守閣手前にあります。

天満橋駅、大阪城公園駅、大阪ビジネスパーク駅からは極楽橋を越え、天守閣を越えた東側入口付近にあります

参考:「大阪城の重要文化財」10箇所

参考:「大阪城の史跡・名所」一覧

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